セレモニーピアニストの日々

片山健太郎

雑記 食と嗜好品

アムールの思い出

投稿日:2018年8月7日

江南市、名鉄犬山線の布袋駅から歩いて10分ほどのところに、「アムール」と言う名のレストランがありました。

ありました、と記したのは、つい先日、こちらのオーナーシェフである長谷川さんが、完全閉店の告知をFacebook上にアップしたからです。

既に、長谷川シェフの体調不良もあって、少し前からお店は閉めた状態でしたし、私も一度閉店後に長谷川さんとお会いした際に、アムールの存続よりも、別にやりたい事への意欲を語っておられましたので、復活の見込みに乏しい事は覚悟しておりましたが、改めて告知文を読むに、とてもとても残念である事には変わりありません。

私と、私の妻にとって、この店は、本当にかけがえのないものでした。私は決してグルメなどと言う者ではないし、昼飯を500円以内で済ますか否かを真剣に悩むレベルの人間にとって、こちらでの食事は、日常からかけ離れた「体験」にほかなりませんでした。ですから、他の同業種のお店の事情などは全く存じ上げません。知りませんが、私の食体験の中では、確実に人生で一二を争う強烈な思い出として、心に焼き付いています。それは、味のうまいまずいだけともちょっと違う。もちろん、美味いのは当たり前ですが、それ以上の何かです。

私たちが最初にお邪魔したのは、忘れもしない2011年の3月、あの大震災のあった直後です。日本中に「自粛」のムードが広がっていて、私たちも行くかどうか本当に迷いました。お店も、自粛ムードのあおりか、私たちの他にもう1組だけだったような気がします。

その時は、世間によくある、男が女をオトすための見栄の道具としてお店を使う、程度のものでした。もちろん、味にも店の雰囲気にも大満足したのは言うまでもありませんが、「シタゴコロ」と言う、余計な調味料を勝手に料理に振りかけて食べておりましたから、お店にとっては、おそらく招かざる客であった事でしょう。

それが、3度目か4度目、私たちが婚姻届を出した日のディナーでお伺いした時から、状況は一変しました。

ちょうどその日は、アムールというお店にとっても、体制を一新したタイミングだったらしく、長谷川シェフが一人で全てを取り仕切っておられました。

それまでは、私たちが食事をしていても、シェフ自らテーブルに訪ねてくるような事はありませんでしたが、この日以降、頻繁にテーブルを回られるようになり、私たちのテーブルにもしばし足を止め、色々料理に対する熱い想いを語って下さったのは、良い思い出です。

こんな事を言うのもおこがましいのですが、料理の味も変わりました。それまでの上品で優等生的な味わいは一変し、荒々しく力強さが加わった味になりました。もちろん、それの全てが良かったとは言いませんが、私の心に今でも残っているのは、間違いなく、変わった後に味わった料理の数々です。

中でも結婚1周年で伺った際に出されたサワラの炙り焼きは、未だに私たち夫婦の中で語り草になっています。なんだサワラか?と思うことなかれ。1本釣りで採られたサワラは、そもそもスーパーなどで手に入る「網で採ったサワラ」とは身の芳醇ぶりが全く違う、旬である事も手伝って、同じサワラかと仰天してしまった記憶があります。それに火入れが本当に絶妙で繊細なんですね。この時は、メインディッシュにイベリコ豚の備長炭焼を戴きました。その後、名古屋のとある有名店で、同じイベリコ豚の炙りを戴いたんですが(おそらく料理の価格帯はほぼ同じ)、肉そのものの味は良かったのに、何だか火入れが雑でがっかりした記憶があり、改めて長谷川シェフのすごさに想いを新たに致しました。

食事の後の、シェフからして下さったお話も、今では色々と感慨深いですが、中でも、給食などを通して、子供の食育に対して真剣な取り組みをなさっていた事には、頭の下がる思いでした。私にも現在2歳になる娘がおりますが、子供に何を食べさせるのか、どう食べさせるのか、と言うのは、本当は人生の中でも育児の中でも、とても重要な問題なのに、どこかないがしろにされています。それは、単に栄養バランスがどうとか、化学調味料がどうとか、と言った事だけではない、もっとライフスタイルまでを含んだ大きな社会問題であり、大げさに言うと、国家の存亡にも関わる一大事だとも思っています。

レストランアムールがなくなってしまう事は、大変残念な事ですが、またどこかで、違う業種・形態でも良いので、ファンの一人として長谷川シェフの料理に舌鼓を打ってみたいなあ。私は、その日を静かに待つ事に致しましょう。

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