セレモニーピアニストの日々

片山健太郎

セレモニーピアニストのこと 献奏曲のこと

[年代別]献奏でご要望の高い曲[90代以上](2)

投稿日:2018年12月29日

前回からの続き、今回は戦後編になります。

※文中の敬称は略させて頂きます。

田端義夫「かえり船」

私が三重県の斎場、会館にお邪魔して演奏する機会が多いからでしょうか?三重県松阪市出身である田端義夫のリクエストをよく頂戴します。その中でも、やはり最大のヒット曲である「かえり船」を演奏する機会が多いです。軽快な曲なのでセレモニーの中でどう生かしてゆくかは、少し考えなければいけません。しっとりとアレンジしてしまうと、かえって曲の持ち味を壊してしまうため、軽快な雰囲気を残しつつ、場面に気を遣いながらの演奏となります。ピアノで演奏するよりも、バイオリンやフルートのソロで演奏する方がセレモニーの雰囲気には合うように感じます。
(1946年/昭和21年/清水みのる:詞/倉若春生:曲)

岡晴夫「憧れのハワイ航路」

戦後大ヒットした流行歌の一つ。聞いた話ですが、戦後すぐの頃は、世の中を明るくするため、暗くしっとりとした曲は発表しないと言う方針だったんだとか。これが進駐軍(GHQ)の意向だったのかどうか、手元に資料がないので記憶が定かではありませんが。「リンゴの唄」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの明るくリズミカルな戦後歌謡の中で、特に多くリクエストを頂戴するのが、この「憧れのハワイ航路」です。この曲は「かえり船」とは違い、しっとりと演奏する事が可能です。曲の雰囲気は変わりますが、郷愁を漂わせる味わいを醸し出し、これはこれで良し、と思えます。
(1948年/昭和23年/石本美由起:詞/江口夜詩:曲)

近江俊郎「湯の町エレジー」

近江俊郎は、前述の田端義夫、岡晴夫と共に「三羽烏」と呼ばれた、戦後を代表する歌手です。この「湯の町エレジー」は古賀メロディー良さが出た傑作で、レコード売上枚数が40万枚を越えたとか。原曲は軽快なリズムに乗せて歌われますが、私個人の意見としては、もう少しテンポを落としてゆったりと歌われるべき唄だったようにも思われます。もちろん、そんな訳ですから、セレモニーの雰囲気にはよく合う曲でもありますが、リクエストの頻度自体は、前述の2曲より少なく感じます。
(1948年/昭和23年/野村俊夫:詞/古賀政男:曲)

藤山一郎・奈良光枝「青い山脈」

藤山一郎もまたリクエストの多い歌手です。セレモニーの雰囲気には「長崎の鐘」「影を慕いて」などの、しっとりとした曲が合うように思うのですが、リクエストとなると、よく知られた「青い山脈」を頂戴することが多いです。この曲も上記の「かえり船」と同じく、軽快さが持ち味となっているため、アレンジと演奏場面には細心の注意を払います。私自身、セレモニー以外のイベントや演奏などで、積極的に取り上げる事の多い曲です。
(1949年/昭和24年/西條八十:詞/服部良一:曲)

江利チエミ「テネシー・ワルツ」

周知の通り、太平洋戦争中、ジャズは敵国の音楽として演奏することも聴くことも禁止されていましたが、終戦後、日本各地に進駐軍が駐留するようになり、ジャズを取り巻く状況は一転します。進駐軍のキャンプ地の周囲での流行から、瞬く間に国内全土でジャズが響き渡り、昭和20年代の後半に空前のジャズブームが訪れたのです。日本でも多くのジャズ・ミュージシャンが生まれますが、江利チエミも、進駐軍のキャンプで歌う中でジャズを会得した一人で、「テネシー・ワルツ」が彼女のデビュー曲になりました。献奏におけるジャズ演奏については、また別の機会につぶやくかもしれません。
(1952年/昭和27年/R.スチュワート:詞/P.W.キング:曲)

続きはいずれまた・・・。

2019年4月4日追記
続きの原稿をアップしました。献奏でご要望の高い曲70代後半〜80代(1)

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